アトリエ交換日記

アトリエ交換日記 第8話


新年、明けましておめでとうございます。
小島柚穂です。今年もよろしくお願いいたします。

ひかりちゃんが展示した美術館のブログ、とても丁寧な紹介で素敵でしたね。まだご覧になっていない方はぜひこちらからお読みください。

 アーティストシリーズVol.93 幸山ひかり展「Go To Trip!最果ての景色へ」

写生画が展示されている中で、新作《まんまんちゃんあん》は
 >こちらは実物を前にした写生ではなく、幸山さんの記憶に刷り込まれたいわば「想像上の鶏頭」。

と、ブログ内に説明がありまして、これは新作で新たな挑戦なのか、以前からおこなっていたことなのか、写生から生み出した作品とはどういう異なる意味を持つのか、そんなことが気になりました。

あまりにも長くなったのでお次のまみえさんは読まなくても大丈夫です、ごめん、、、、

ひとつ前のめぐちゃんの日記を読んで(記事はこちら)、なんとなく思い出していたことを書こうと思います。

めぐちゃんのフィルムカメラに向かう姿勢がとてもいいなと思いました。強い意志や感情を感じます。彼女が撮った写真をいつか見てみたいです。


私は、大学に入る時に一年浪人していて一年中美大受験の予備校で課題漬けになった日々がありました。描く力を大切にする予備校で、基本的にデッサンをよくやっていて、1年に2回の半期講評会では一人10冊のクロッキー提出がありました。基礎的なデッサン力があればどんな画材でも、立体でも手段が変わるだけで力は変わらない、ということです。(多分)大学に入ってからも実技の授業では写生やスケッチの大切さを教わりました。記憶に残っているのは「よほどの高画質なカメラでないと写真を撮る意味は無い」という言葉です。(作品の取材のため、写生の代わりに、という意味だったと思います。)(色々と割愛したので誤解を生むところもありそうですが気になった方は話しかけてもらえたら嬉しいです)

私は、作品の取材に写真を撮ります。そこまでいいカメラではありませんが初級〜中級機の一眼レフカメラなので、そんなに悪いカメラではありません。それを元にスケッチをしようとした時、いかに自分がモノを見られていなかったのか気付くことがたくさんあります。写真を撮ることで満足してしまってよく見られていなかったのか、自分が見えた以上のディテールをカメラに押し付けられたのか、わかりません。写真を撮る、という行為を挟むことによって感情を省き冷静になれるのかもしれません。ただ、正確に思える写真が目の前にあることにより「私が見た」景色やモノを邪魔することも往々にしてあるでしょう。

私は作品に落とし込むときは抽象化することが多いので、写生やスケッチやカメラでの記録の話をするのは意外かもしれません。何度も徹底的に、具体的に、要らない線をたくさん描いてから抽象へと持っていくことが多かったです。ここでの過去形の意味は、実はこの間新しい挑戦をしたからです。それは先日書いた当別での制作日記です。(記事はこちら)このときはなんの記録も取らず、自分が受けたイメージそのままから描いていきました。自分の感覚や感情だけが頼りです。はじめの何枚かは不安で手が上手く動かなかったものの、色鉛筆で描く線がどんどん私の中にあるイメージを捉えて形作り、記事の中にあるように終いにはA4を何枚も繋げるほど情景がどんどんを膨れ上がっていきました。これは新鮮な経験であまりにも楽しかったので、このスタイルをしばし続けてみようかと思考えています。

そういえばまた思い出したんですが、シェアハウスみたいに染工場の2階に下宿してたことがあるんです。そこに映画好きの住人がいて。彼が「鏡もレンズも3次元を2次元にする訳だから、正しい自分の姿を見ることはできない。」というようなことを言ってました。なるほどと思いました。でも今私が見ている世界だって眼球にあるレンズと脳みそが作り上げたもので。目の前にいる人のことだって見えているのか怪しいもので。だからこそ私が見た世界を表現したいし、誰かが見た世界の表現を見たいなって思うのかもしれません。(思いつきで書いてるので、明日にはまた違うこと言ってるかも)

最近、アクセサリーやメイクへの熱が再燃しています。お気に入りはネイルホリックのマットコートとUZUのホワイトアイライナーです。おすすめ!

そんなこんなでお次はまみえさんです。毎度、楽しみでワクワクです。

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